神津にいくばぁ!の神津島ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

二十五日様を考察する。

旧暦の1月24、25日と聞いて何かピンとくる事はありますか?
ピンと来ないのが世の中で普通かと思いますが、神津島は違います。

いぼじり 

そう、現在でも厳粛に伝わる風習、「二十五日様」が行われる日なのです。

この日は、
働いてはいけない、夜間の外出をしてはいけない、早く寝る日とされていますので、

・温泉保養センターが営業時間繰り上げ
・一部商店も営業時間を繰り上げ

となり、島全体の雰囲気がいつもと異なり、
島民がみなそわそわし、二十五日様という存在におびえております。

だって、決まりを守らないとたたりにあったり・・・

二十五日様に殺される

って、子供の頃から言われているのですから。


この日は、
・海に近づかない
・働いてはならない
・日が沈んでからは外出してはならない
・早く寝なければならない
・家の外に光を漏らしてはならない などと言われており、

少し前までは、便所が外にあったので、
・夜は外に出れないため、家の中に桶を持ち込みそこで用を足した。とも言われております。
 

神事的・厄除け的には、

・神棚にお供え(おもち)を供える。
・道路の道祖神にお供えをする。
・玄関の前に「イボジリ」という竹で作られた厄除けを置く
(左右に長短2本ずつの計4本、場所によっては短いもの2本など)
(竹の先端に藁を巻き、松根のアカシで燻している。)
・やぶれ籠に鎌を刺す
・戸口にトベラの枝を詰め込む
・神主が闇夜に村中の道祖神をお参りする。 

などをして、当日を迎えます。

 

二十五日様の由来とは?

さて、一体全体、二十五日様とはなんなのでしょうか?

まず初めにご承知して頂きたいことは、
これが正確な由来であるという証拠となる資料は残っておりません。
ある程度の事実と、それが伊豆諸島に伝わっていった際、島に定着していった際に変化していき、
現在のように残っているものが、二十五日様です。
大島や新島でも似たような風習がありますが、異なる点も多くあり、
伝わるっている由来も複数あるので、正しい由来というもの断定できないわけで、
むしろ言い伝えられているものすべてが二十五日様と言ってもいいのかもしれません。

以下に記述することも、断定できるものではなく、筆者の推測であることを念頭に置いてください。

 

物忌奈命神社のブログによると

(参照:http://kouzujinja.blog70.fc2.com/blog-entry-116.html)

”大島の日忌様、新島の海難法師とは少し違い
他島の伝承では怨霊伝説のようになっておりますが「二十五日様」は
上陸された神を村内の猿田彦神=道祖神をご案内し拝礼して回るという
厳粛な神事であるからです。”

と、あります。
なので、神社の認識としては、
猿田彦神(道祖神)を迎え入れて、島内にある道祖神を拝礼する神事ということです。
神津島本来の二十五日様は、道祖神の行事ということになるのかもしれません。

つまり、言い伝えられている ”夜に出歩くと祟りにあう”などという恐怖的な要素は本来ありません。

港で神をお待ちする準備。
猿田彦神さまお迎え 

ただ、猿田彦神は、天狗の元祖と言われてしまう容姿で、その容姿にコンプレックスを持っており、
素顔を見てしまった者を、身に着けていた「釜」を被せてとりついて殺してしまう。というお話しもあるので、
島内を拝礼している間に人に見られてはいけない、もとい、人が猿田彦神を見てはいけない、ということが、
夜に出歩いてはいけない → 出歩くと祟りにあう、殺されるなどに変化していったと思われます。
(参照:http://ameblo.jp/tenjousan/entry-12135116504.html)



神津島の二十五日様の流れ

神津島で広く捉えられている二十五日様は、

旧暦1月23日 三夜待ち 
旧暦1月24日 二十五日様(畏れる日)
旧暦1月25日 二十五日様(畏れる日)
旧暦1月26日 子だまり (子供は早く寝る)の4日間が一般的に認識されている流れかと思います。


三夜待ちの日は、大騒ぎをしても良い日と言われています。
宴会を開き、朝までお酒を飲み、騒ぎ楽しみ、
これから来る畏れる3日間の夜(三夜)に備える。という意味として捉えられています。

24日、25日は両日とも同様で、
海や畑の仕事はしない、早くに家に帰って、早くに寝る。
家の外に光を漏らしてはいけない。とされて、この2日間は特に畏れる日となっています。

26日の子だまりは、
子供は引き続き前日と同様に過ごすというものです。

 

本来の三夜待ち

旧暦24、25、26日に騒げない、飲めない分、前日に飲む!と認識されている、三夜待ちですが、
神津島には、実は昔から三夜待ちを行っていたであろう、「月待」という信仰がありました。

その信仰が現在は姿を変えて、そのような認識になったのだろうと思われます。

その信仰の詳細ですが、
その名を「月待」(つきまち)信仰。全国的に流行した民間信仰です。
現在でも、埼玉県の秩父のとあるお寺で月待の行事が行われているようです。

月待信仰とは、新月から満月、そして新月へ向かう月の、
特定の月の形の時に、その月が昇ってくるのを待つ。待っている間には飲んだりするという信仰です。

地域によって、十五夜、一九夜、二十三夜など待つ月の形は違って、
十五夜を待つ信仰だと満月が昇ってくるのを待つことになります。

神津島の月待信仰は二十三夜の月を待ちました。
その証拠として、月待ちをする際の、廿三夜と書かれた塔が今でも島に3か所存在しています。
月待ち塔 

二十三夜の月とは、満月から約1週間後の月で、下弦の月、どんどん細くなっていく途中の月です。
二十三夜が昇ってくるのは決まって深夜。

2017年2月19日(旧暦1月23日)の夜から月の出を待ったとしたら、
月が水平線から出てくる時間は、翌日(旧暦1月24日)の深夜1時12分。
真上にくる、南中の時間は朝6時32分となります。
参考に日の出は6時40分。

つまり、相当夜遅くまで宴会を開いていることから、
「三夜待ちは朝まで飲んでいい」という事になっていったと思われます。

大島や、新島では三夜待ちの話をきかないので、
三夜待ちとは本来、二十五日様の神事のひとつではなく、
月待信仰で行っていた夜更かしをしてよい「二十三夜待ち」と、夜更かしををしてはならない「二十五日様」の日程が、
接近していたために、一緒の風習として捉えられていったのではないでしょうか。

また、時代的には、
埼玉県秩父の霊場を模した秩父堂の開設は1764年頃、
秩父山にある月待ちの塔が天保12年(1841年)に設置されたので、三夜待ちが始まったのはこの頃からではないでしょうか?

あくまでも仮説です。

 

二十五日様のご来島

旧暦の1月24日はいよいよ二十五日様が島にいらっしゃいます。
先ほどの神社のブログより引用しますと、

”旧暦一月二十四日早朝、私共神職は十日ぶりに立ち入り制限を解き境内に入り
「イボジリ」を製作し表・裏参道の鳥居ほか境内の摂末社、本殿、拝殿の向拝下などに飾り
前浜港のスロープに海からお出でになる二十五日様をお迎えする場所を設営いたします。

座礼で拝礼するため軾(ヒザツキ=ゴザ)も設営いたしますが強風対策で角材で抑えておきます。

午後、暗くなる前に本殿で献饌

暗くなってから神職二人で境内のイボジリを飾った各所を拝礼して回り
境内北側の現在は車道になっている「二十五日道」を通り「滝川」を
拝礼してから前浜港・船揚げ場へ降って行きお迎えをいたします。

龍神宮を拝礼した後、表門=一の鳥居横・宮司(私)宅で休憩いたします。”

とありますので、
24日の暗くなってから、二十五日様は神津島に上がられます。
その後、村内の道祖神を拝礼します。
話しで聞いただけですが、この日は、村の半分ほどの道祖神をめぐるそうです。

25日も同様にして、残りの村半分の道祖神をめぐります。
なので、2日にわたって、夜は出歩かない日と定められているのしょう。

ここで、疑問なのが、
24日の拝礼が終わった後は、二十五日様は海へ帰るのか、島の中で1泊しているのかどうか。
25日に日中に出歩いてもいいのは、二十五日様が海へ戻られているのからでしょうか?

25日が終われば、畏れていた二十五日様の日程はほぼ終了しますが、
26日は、子だまりとなります。
 

子だまり

引き続き、子供は早く寝なさいという日として認識されています。
由来や詳細は筆者はわかりません。
実は一番恐い日といわれたりしていますが、どういうことなのでしょうか?

また、新島には親だまりもあるそうで、その関連性が気になります。


 

お寺の二十五日様

先ほどまで、二十五日様は猿田彦神という流れできましたが、
実は、別の方のことを二十五日様という説もあります。

その方とは、浄土宗の開祖である「法然上人」です。

法然上人の命日が1月25日なので、二十五日様。
神津島のお寺は浄土宗なので、開祖である法然上人の大遠忌に際に何かしらの法事を行っていたと考えても不思議ではありません。

また、二十五日様という呼称の発祥と思われる。
神津島にお寺ができたのが、寛永16年(1639年)のこと。
 

怨霊の二十五日様

猿田彦神でもなく、法然上人でもない二十五日様。

伊豆大島では「日忌様」(ひいみさま)、
新島では「海難法師」(かんなんぼうし)と呼ばれているのが、
神津島で畏れられる理由として伝わっている二十五日様と近いように感じます。

逆に言えば、他の島では二十五日様とは言っていません。


さて、二十五日様と聞くと、実際1番よく耳にするお話しの流れは、

1、「大島の悪代官を大島の島民が騙し、海の時化る日に島めぐりに連れていき殺害した。それが1月24日で、代官が怨霊となっている」や、

2、「大島で悪代官が若者25人によって殺害され、25人が島を船で出て他の島に助けを求めたがかくまってもらえず、
三宅島に向かう途中で海難事故で亡くなった。その若者25人が事故のあった1月24日に怨霊になってやってきている。」

のふたつであり、この元とされているのが、
江戸時代、寛永5年(1628年)のことで、悪代官は豊島忠松とされています。
(実際、豊島忠松は八丈島代官で正保2年(1645年)に赴任地で溺死したという話もあります。)

神津島の二十五日様にまつわる話しに、
三宅島が見える長っ崎という磯から二十五日様は上陸して、長っ崎の磯だまりで手と足を洗って島内に入ってくるという話しがあります。
上記の2の話しだった場合、たしかに、長っ崎からの上陸に合理性があるように感じますがどうなんでしょう・・・。
 

夜に何者かに呼ばれて、返事をしたら死ぬという話し

神津島には二十五日様となると、でてくる話しに、
「もし、夜遅くまで起きていたとき、名前を呼ばれても返事をするなよ!死ぬぞ!」という、物があります。

これは、近年、島であった事実をもとに広まっていた話しかと思われます。

 

まとめ
すなわち、
・猿田彦神の拝礼神事
・大島の「日忌様」
・新島の「海難法師」
・浄土宗の信仰・・・二十五日様の呼び方の由来
・月待ち信仰
・島内での噂
 →長っ崎から上陸してくる
 →夜に呼ばれて返事をすると死ぬ
 →働きすぎの島民を休めるための口実
 →夜間に外出した者はたたりにあう、死ぬ。

などが、混ざり合ってできたものであると言えるのかもしれません。


流れ

古来から、海からの神を迎える神事が行われており、
それは猿田彦神を迎えて島内を拝礼するものであった。
猿田彦神の素顔を見てはいけないとされ、夜間の出歩きは制限されていた。
見たら殺される。というイメージはすでにあった。
この頃は1月24日のみだったのかもしれない。

1628年以降・もしくは下記のお寺設立と同時期
大島「日忌様」、新島の「海難法師」の話しが神津島に伝わる。
海からの神と海からの怨霊が重なり、畏れる対象が増え、
さらに、夜間の出歩き、光を漏らしてはならないなど厳格になっていく。

島民としては、2つの話しが混ざり合い、
海から島に上陸して村中をまわる怨霊という認識ができはじめる。


1639年以降・もしくは上記の話しの伝達との同時期
お寺ができ、熱心に宗教を信仰した。
1月25日は法然上人の大遠忌であるため、1月25日の行いを二十五日様と呼びはじめ、
1月24日の神事(猿田彦神との拝礼)も括られ二十五日様と呼ばれ始めた。

神津島での二十五日様の呼称の発祥はこの頃か?

また、浄土宗の信仰が強かったために、
猿田彦神にまつわる神事の呼称が失われていった。

また逆に、現代では、法然上人にまつわる行事がないので、
どこかの時代でで寺の行事が失われていったと考えられる。


1841年以降
月待ち信仰が入ってきて、1月23日に三夜待ちが行われ始める。
その後月待ち信仰は廃れていったが、
1月23日の三夜待ちは、二十五日様と一緒の流れで行っていたことにより、
1月23日のみ残り続けた。

こだまりの由来は不明。
新島では24日が親だまり、25日が子だまりとされているので、
神津島でも24日が親だまりとされ、25日も子だまりとしたいところであったが、
法然上人の件があったので、26日にずれこんだのかもしれません。(安易な推測)


猿田彦神の神事の由緒がわからないため、
二十五日様が何年続いているものかはわかりません。

ただ、物忌奈命神社が歴史にでてくるのは、西暦850年なので
そこから、猿田彦神の神事が行われていれば、
二十五日様の流れは約1170年前から存在したことになり、

現在の形に近づき始めたと思われるのは、1650年頃なので、
約370年続く二十五日様となります。

三夜待ちが始まってからは、約170年と推測できます。


終わりに
粗末な推論に長々お付き合い頂きありがとうございました。
間違えだらけ、矛盾だらけ、かもしれませんが、
現時点での知りえる知識、考えられることを総動員して執筆しました。

合っていようが、間違っていようが、
この文書が、神津島の人に届き、郷土史への興味、関心へと繋がれば幸いです。
スポンサーサイト

最後の仕事がおーーーーわり。

DSC_6048.jpg


8月20日
23時15分 とある路線の最終電車で勤務地へ向かう

8月21日
5時30分 いつもよりちょっと早く起きる
6時21分  出勤
6時53分 仕事をはじめる
17時48分 仕事を終える
18時12分 退勤

19時過ぎから送別会
21時過ぎから二次会

0時過ぎ 帰宅

こうして、最後の仕事の日が終わった。

22日からは籍はあるけど、お休みだから実質フリーター。
えぇ、もう26日になりますがたいてい暇してます・・・

9月1日には会社の籍も無くなる。
ほんとにフリーターとなってしまいます。

11月から島に戻ります。
観光業の仕事に携わっていく予定なのでみなさん一緒にがんばりましょう。

2ヶ月ちょっとの遅めの夏休みを満喫しますね。
バスの教習に通っていて、落ち着いてられませんが。。。

でも、バスの教習がないと本当にやることがないので、暇です。
11月からの展望をちゃんと考えよう。
なので、島であーしたいこうしたいがあったら教えてください。
参考にさせていただきます。


そうそう。
明日は、仮免試験なのです。
がんばります。
プロフィール

中村圭

Author:中村圭
中学卒業まで神津島で暮らし、高校から本土へ上京。大学を卒業し、本土で働く。そして、島に戻り、島人として生活をします。

ホームページ

 神津にいくばぁ!

圭へのお手紙
お問い合わせなどあればこちらからどうぞ。

名前:
メール:
件名:
本文:

来島者数
最近の記事
カテゴリー
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。